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戦国百科 合戦 小田原城攻め 秀吉 統一への道 小田原城攻め 天正十八年(1590) 羽柴秀吉vs北条氏政・氏直 <秀吉の服属要求を拒否し続けた北条氏だが 惣無事令違反を理由についに滅ぼされる> 相模小田原城は、築城年代は不明ながら、 明応四年(1495)に時の城主大森藤頼から伊勢新九朗こと 北条早雲が奪取して以来、北条五代にわたる居城となった。 北条氏は、早雲の跡を継いだ氏綱(うじつな)以来関東に進出し、 五代氏直(うじなお)の代には北関東の一部と、 房総半島先端部をのぞく関東一円を支配領域とした。 北条氏は上洛はするが、秀吉との戦闘は避けられず 天正十六年(1588)縁戚関係にある徳川家康の仲介と 豊臣政権の度重なる催促を受けて、氏直の叔父にあたる 氏規(うじのり)がようやく上洛して秀吉に謁した。 秀吉は、自分に対し服属の礼をとった北条氏を許したが、 前当主で氏直の父氏政(うじまさ)の上洛も強く求めた。 このとき、氏規は氏政が上洛する条件として、 上野沼田領をめぐる真田氏との領地紛争の解決を秀吉に要望した。 秀吉は、沼田領の三分の二を北条氏に、三分の一を真田氏に 帰属させるという裁定を行い、こ
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